投稿

外の空気を吸いたくなる空間へ

イメージ
 建築との関係、内と外との繋がりというのはゾーニング、動線計画を考えるときには特に強く意識します。 内にいるときも外を感じられる、思わず外に出たくなる、そういう空間好きです。 一時 福祉住環境の一環で介護の勉強をしていた事がありました。 そのプログラムの中には実習もあって何日間か実際に施設で働かせてもらいましたが、その施設から見える外の景色には全く内と外のつながりを感じませんでした。 申し訳程度にある庭は手を入れられず、全ての窓は事故が起こらないよう常に閉ざされていました。 スタッフさんが悪いんではないんです。 みなさん手一杯の仕事を抱えて、それでも笑顔で働いていて、それは尊敬に値します。 認知の方もいるので事故を心配するのも当然です。 ただそういう施設の利用者の多くは土に触れるのが当たり前で暮らしてきたであろう年配の方です。 理解はしても寂しさは感じました。 たとえ実際に外で過ごすことが難しくても、なんとなく気持ちは外を感じて解放的になれる。 できれば最後の最後まで。 そういうのいいですよね。

物価本と公共設計

イメージ
物価本と呼ばれるものがあります。 建築や土木業界の資材や労務の適正価格を市場や実態調査から算出したもので、公共の設計では積算のベースになります。 その中には植物についての資料もあります。 健全なマーケティングを維持するのに適正価格を示すことは大切ですし、お役所がそれを基準にモノを考えることも当然だと思います。 ただ間違いないからとその中で全て収めようとすると、出来上がるものは面白みに欠けた無難なものになりがちです。 植物でも物価本に載っていない魅力的な植物は山ほどあります。 しかしそれを使って問題ないだけの、いわゆるエビデンスというやつをお役所に納得してもらうのはなかなか骨が折れます。 公正に安全にという一方で、そのことが監督する立場を窮屈なものにして、より良いものが活かされないということは避けたいです。 ある程度の質が約束されたものを早く大量にという時代は終わりました。 個性、その地域ならではのアイデア、他業種との協働など、当時はそれほど重きを置かれなかったものが計画に反映できる、そこでのリスクマネジメントも含めた新しい仕組みが必要ですよね。

ウッドショック

イメージ
 ‘ウッドショック’という言葉聞かれたことあるかと思います。 オイルショックになぞらえてこう呼ばれるこの現象、文字通り木材の供給が需要に追いつかないということですが、国土の3分の2が森林のこの国でなぜ木材が足らないということが起こるのでしょう。 ウッドショック自体の原因はコロナ禍での住宅ニーズの高まりや住宅ローン金利の低下以外にも、山火事や、中には中国の買い占めによるという声も聞こえます。 大元の原因はさておき、国内において考えれば今の輸入材に頼りきった仕組みや国内林業の衰退、手入れされず所有者も不明な山林、木材をとるためのスギやヒノキの単一植栽により地滑りを起こしやすくなった人工林、と単なる木材の不足では片付けられない多くの問題の現れではないかと感じます。 ヨーロッパの街並みが美しいのはその土地から削り出された石を技術とセンスで人の住む空間にデザインしているから。 日本はそれを 木 でやってきたわけです。 国内産の木が丁寧に扱われ、デザインされた日本の街並みは、国内外問わず必ず人を惹きつけます。 そこに需要が生まれ、国内の林業が活発になり、森林が正しく管理され、美しい街並みが広がる。 そういう日本であったならウッドショックとは無縁であったように思います。

雪国ならではの植物の魅力とは

イメージ
 北海道の地方都市での植栽設計に携わることがあります。 この雪の大地で植栽プランを考える時に必ず考えるのは植物の耐寒性、ハーディネスゾーン(Zone)です。 ハーディネスゾーンとは年最低気温の平均で地域を段階に分けたもので、例えばZ(ゾーン)5と表示された植物なら5のゾーンより寒い地域では生育は困難という判断の一つの指標になります。 もちろん同じエリアでも環境によって寒さは違いますし、海風が当たる場所や屋上に植える場合など、最終的には場面ごとに総合的に判断します。 愛知県で生まれ育ち、植物の勉強は北海道に来てから始めましたので、一年の半分近くオフシーズンの雪国で植物の世界を語る意味を見出せない時期も勉強したての頃にはありました。 長く植物と付き合っているとそれが誤りであることがよく分かります。 雪国の植物たちは長い冬の間、雪の下でじっとエネルギーを溜め込むんですね。 溜めて溜めて短いシーズンで一気に爆発させるんです。 バラなどは最も鮮明に発色します。 宿根草やグラス類の風にそよぐ姿の美しさは北国が最も似合います。 冬に宿根草は地上部を枯らし、雪の上に立ち枯れて残るグラスに風情を感じます。 毎年葉を落とす落葉樹には常緑照葉樹にはない繊細な葉のシルエットと美しい樹姿があり、クリスマスツリーのような常緑の針葉樹の枝に雪が積もる様子は、雪の降らない国で暮らす方には憧れの景色です。 雪のシーズンは植物にとって決してオフでないことを知りました。 日本は国土は大きくなくとも南北に長く、先述のハーディネスゾーンも北と南で全く異なります。 それだけ植生も多様でそれぞれの美しさがあるということ。 この国が美しいこと 当たり前と思わずしっかり守っていきたいですね。

つなぎ役として

イメージ
 時間の流れ、その積み重ねがつくる美しさというのは建築にもランドスケープにもあります。 その美しさはどの場面でも得られるわけではなく、設計の段階からその時間軸が意識されているかがかなり大きく影響します。 新築の家が建つとき、当然その周辺環境とは時の積み重ねが異なるわけで、建物がいくら素敵でも周りから浮いていれば良いことではありません。 以前、友人の建築家と協働したお宅です。 建物だけのときはこんな感じです。 植物は環境さえ合えばその生命力で人工のものよりも早く周辺に溶け込んでくれます。 樹木なら3年、草花なら1〜2年もすれば馴染んでしまいます。 周辺の植物やお庭、建物と道路の間をつなぐつなぎ役として。 人工のものと自然のもの、それぞれの良さを引き立て合いながら共に良い時を積み重ねてほしいと思います。

分野の垣根を超えて 縦割りから使命感を持ったチームへ

イメージ
 菅首相の先日の会見、総理になられて初めてご自身の言葉で話されたように感じました。 その中で厚労省や各自治体の首長との連携の難しさ、縦割りの弊害についても言及されていましたね。 総理になる前からそうした体質であることは十分理解されていたでしょうから、この有事においてだから仕方なかったでは済まないことですが。 ただ縦割りの問題は多くの業界、多くの組織でも多かれ少なかれあるのではないでしょうか。 ランドスケープというフィールドで土木、造園、都市計画、環境なんかの垣根を飛び越えて空間づくりできればと常に考えています。 逆に言えばランドスケープというフィールドは一人で全てを専門的に語るには幅が広すぎて、必然的にチームを組む場面が多くなります。 そのチームが縦割り体質では意味がないんですね。 全員が自分の受け持ったパートに使命感を持ったプロ意識の高いチームでないと。 さて 自分にその資格があるのか(笑)。 日々勉強しかないですね。

'囲う'

イメージ
 ゾーニングという言葉を聞かれたことあるかと思います。 ゾーニングは動線の流れを確保しながら空間を目的や周辺環境との関係によりエリア分けする事ですが、時に繋げるだけでなく'囲う'という事をします。 ゾーニングではパブリック、セミパブリック、そしてプライベートゾーンとザックリ区分けしますが、'囲う'ことでプライベートな性格が強くなります。 また囲われることでそこに収まるコンテンツの一つ一つにしっかり目が行くようになります。 生態系の部分では囲うことで安心して使える植物というのもあります。 緑の回廊とよく言う様に緑が連続する事で動物や虫たちの活動が増え生態系が豊かになる一方、逃げ出すと厄介な植物もあります。 環境省、農林水産省も侵略性が高く生態系に被害を及ぼす危険性のある外来種を特定していますが、園芸種として流通しているものの中にも同じカテゴリーに属して注意の必要な植物は数多くあります。 安易な気持ちで植えたらあっという間に広がってコントロール出来なくなったという事はあってはなりません。 それでもどうしてもという時はやはり'囲う'ことが有効に機能します。 誰に見せる訳でもない、自分だけのプライベートな空間。 みんな好きですよね。 そんな場所。

material『植栽』と『緑化』の間

イメージ
 前回の投稿で『植栽』と『緑化』について取り上げました。 そこで両者の使い分けの意味についてお話ししましたが、個人邸でも公共の場でも、その間で良い材料があればと感じることはよくあります。 つくり込み過ぎては後の管理が心配だし、だからといっていかにも『緑化』ではあまりに味気ないしという。 そんな場面に有効なものの一つをご紹介します。 這性のハーブを高密度に育て、マット状にしたハーブマットと呼ばれているもの。 以前個人邸で使用した施工例です。 施工前はこんな感じでした。 別のお宅の例です。 施工前がこうでした。 芝生に比べるとイニシャルはかかりますが、元々野草に近いハーブだけあって管理手間は圧倒的に楽です。 踏圧にも強く、踏むとフワッとハーブの香りが広がります。 多花性でその時期には一面小花を付けますので、あまり広い面積に使うとくどくなりますが、これくらいの場面で大変重宝しています。 『植栽』と『緑化』の間にハーブマット いかがですか。

『植栽』と『緑化』

イメージ
 以前『面で捉える』というタイトル記事をあげたことがあります。 『植栽』と『緑化』は同じ緑を増やす行為でも結構違うものとして自分は捉えています。 『緑化』は文字通り緑の量を先ず増やすこと。 その目的の主としては緑化率という指標があるように街の中にまずグロスで緑量を増やす。 その事が街に潤いをもたらし、環境に寄与し、引いては人の生活の質を向上させるという考え方。 『植栽』という言葉にはもう少しデザイン性、修景、個々の植物への高い意識といった、量よりもテーマやストーリー、思い、なんかが込められているように感じます。 ランドスケープの植栽設計ではその『植栽』と『緑化』を場面に応じて使い分けることは結構大きな意味を持つと考えます。 それは『面で捉える』にも繋がりますが、より複雑なデザインの『植栽』と単植で面をつくる『緑化』のコントラストがあって互いを引き立てあうというデザイン的なメリットと、シンプルなデザインは概して管理を容易にするという維持管理上のメリットがあります。 思いも込めて行う『植栽』は逆に言えばその思いがあるからキープできるもので、自分事となりづらい公共の場面などでは設計者が一方的に思いを絵に注入しても受け取る側が事務的な対処しか見せないのであれば、その思いをしっかり理解してもらう努力をした上で『緑化』とのバランスを図ります。 環境を考えても、人々の心的作用や暮らしを考えても、コンクリートやアスファルトに囲まれて暮らすのと緑と潤いの中で暮らすのどちらが豊かかは明らかですよね。 場面に合わせて緑を増やす活動、続けていきたいと思います。

コロナ疲れと価値観の見直しと

イメージ
思うように人とも会えず、外にも気軽に出かけられなくなって1年半以上。長過ぎますね。 政府や都知事さんに言いたいことは山ほどあるし国民としてそこは声を上げなければいけないと思う一方で、個人個人の価値観やライフスタイルを見つめ直す良い時間でもあると思います。 今回のコロナも、ゲリラ豪雨も、異常な暑さも、あちこちにクマが出没するのも、発端は全て人の行為行動にあります。 日々植物を目にする暮らしをしていますが、植物にはコロナも何も関係ありません。 外出自粛も行動変容も関係なし、日々の暑さに耐えながら淡々といつも通り過ごしています。 このシンプルさから学ぶことは多いです。 人と人が一度ぶつかるとなかなか折り合いがつかないところ、間に植物をはさんでまとまるという事もこの仕事していると何度も経験します。 便利すぎて変化が早すぎる今、この長いステイホームは一度立ち止まって考えろというメッセージなのかもしれませんね。